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導水施設・井戸
首長が権威の維持・安定、クニの安寧の祈り、祖霊祭祀などを執り行なう祭祀に用いる水を得るための施設−−導水施設と井戸について述べます。
導水施設の構成
野洲川下流域で見られる「導水施設」について、基本的な施設構成を示します。
参考までに、纏向遺跡と南郷大東遺跡の導水施設も示しておきます。
考古学の世界では、厳密な解釈では、木製の樋や槽を用いたものを「導水施設」とし、古墳時代に始まったとされています。
しかし、野洲川下流域で見つかる素掘りの溝(樋に相当)、土坑(槽に相当)を構成要素とする浄化した水を得る施設は、古墳時代の「導水施設」と同じ構成と機能を持ち、祖型と考えられるので、ここでは「導水施設」としています。

基本構成の比較

導水施設構成の記号
導水施設の基本的な構成は「基礎知識/導水施設」のところで示しました。
野洲川下流域の導水施設の基本構成を時代順に示します。
詳細は後述しますが、主な特徴を記しておきます。
下鈎遺跡(弥生時代中期)
・発掘範囲に水源はない
・溝による水路と土坑による浄水施設からなる
・浄水部には覆屋があった模様
・近辺に祭祀用の掘立柱建物がある
・排水は溝につながる
下鈎遺跡(弥生時代中期)
伊勢遺跡(弥生時代後期)
・水源は自然流路
・溝による水路と土坑による浄水施設からなる
・浄水部にはろ過機能があった
・排水は範囲外
伊勢遺跡(弥生時代後期)
服部遺跡(古墳時代早期〜前期)
・水源は川と想定される
・浄水、排水は木製の槽、樋を用いる
・貯水部、給水路には工夫が凝らしてある
・浄水部には垣根があった模様
・排水は川と想定される
服部遺跡(古墳時代早期〜前期)
【参考】纏向遺跡(古墳時代早期)
・水源は大きな溝より
・浄水、排水は木製の槽、樋を用いる
・近辺に祭祀用の建物がある
【参考】纏向遺跡(古墳時代早期)
【参考】南郷大東遺跡(古墳時代中期)
・給水、浄水、排水は木製の槽、樋を用いる
・貯水部、給水路には工夫が凝らしてある
・浄水部には垣根と覆屋があった模様
【参考】南郷大東遺跡(古墳時代中期)

施設の構成から読み取れること

発掘調査図面を見ると、
@水のろ過や遺物の沈降による浄水機能がある 
A浄水部に覆い屋や建物がある 
B周辺に祭殿と思われる掘立柱建物がある 
などのケースが見られます。
これらの機能は、古墳時代中期に作られる「導水施設」を模した囲形埴輪でも再現しています。
単に「きれいな澄んだ水」ではなく、手を加えてより浄化された水を得ようとしています。
また、そこから「聖なる水」と取り出す行為は「見られてはならない」神聖なものとして覆い隠されたようです。
下鈎遺跡(弥生時代中期)や伊勢遺跡(弥生時代後期)の施設は、その構成、機能(浄水あるいはろ過して聖なる水を得る)は、古墳時代の大がかりな導水施設と同じです。
規模の違いの他、木製の樋・槽か土坑かの違いだけで、目的とするところは同じです。
「聖なる水を得る」個所は覆屋で隠し、祭祀のための建物を近辺に設置することなど、祭祀の形態も同じです。
と言うことは、「聖なる水」を得て、それを用いて祭祀を行う行為は、弥生時代中期から行われていたと言えるでしょう。
現在の考古学会では「導水施設は古墳時代に始まる」とされていますが、弥生中期の下鈎遺跡に現れる「導水施設」は、祖型(プロトタイプ)と考えられます。
では、それ以前はどうかと言うと、弥生時代前期には井戸や水辺の祭祀の痕跡が薄く、水にまつわる祭祀は弥生時代中期に形式化され盛んになっていくようです。
弥生中期の池上曾根遺跡では井戸から聖なる水を得ていたとされており、それが「浄水」機能を付加したものが初期的「導水施設」となり、水量を調整する木製樋や木槽を持った本格的「導水施設」となっていくように見えます。

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