ヘッダー画像
基礎知識:水の祭祀とは
水の祭祀について
このHPで使う用語について説明します。水の祭祀に関する用語が統一された共通語になっている訳ではなくここでの使い分けなのでご注意ください。

水にまつわる祭祀全般、ここでは次の2つを対象としています。
2つの祭祀は、「水」にかかわる点は同じでも性格を異にし、格が違う祭祀です。

@導水施設・井戸(を使った祭祀) 【首長・王権の祭祀】

水を処理して「カミ」に捧げる「聖なる水」を得るもので王権の維持・安定、クニの安寧の祈り、祖霊祭祀などを執り行なった
王権確立の前時代には、首長が「祭祀用の水」を得て同様な祭祀を行った
似たような祭祀として自然湧水による「湧水施設」があるがここでは対象外

A水辺の祭祀 【生活に密着した人々の願い】

川や井戸の傍で行う祭祀、環濠や人工の溝の傍で行う祭祀も含めます
 (今回は取り扱っていないが、海、湖や池のほとりで行う祭祀もある)
水のある場所で、様々な祭祀具を使って行われる「まつり」で、豊作や降雨を願ったり、逆に飢饉が治まることや雨などが止むように祈ったり、病気の平癒や傷害の治癒を願ったりなど、様々な人々の生活に密着した願いをカミに祈ったものと考えられます。
野洲川下流域では、びわ湖・河川水運の航行の安全を願ったことでしょう。
祭祀の区分けとして、川の水を引き込みそこで祭祀を行う「水場遺構」を新たに設定しました。
導水施設
導水施設とは、古墳時代の首長による水の祭祀にかかわるもので、カミに捧げる祭祀に用いる聖なる 水を得るための施設です。

導水施設の構成

構造的には川や井戸から水を引き入れ、貯水した後、槽に導き、ろ過した上澄みの水を取り出す仕組みとなっており、木樋をつないで水を流す構成になっています。
導水施設の構成
導水施設の構成

近くに建屋があるケースがあるので、そこで祭祀を行っていたと解釈されます。
こうして得た「聖なる水」を祭祀に用いたのか、水を得る行為自体が祭祀なのか、具体的には分かっていません。
多くの場合、施設は集落から離れたところにあり覆屋や垣根に囲われていて、外からは見えない構造になっています。このため、関係者以外の人には見せられない、秘儀であると考えられています。夜間に催されたという見方もあります。

導水施設の実例

滋賀県の服部遺跡の導水施設の構造図を示します。
服部遺跡出土の導水施設の構成
服部遺跡出土の導水施設の構成

このような導水施設は古墳時代早期の纏向遺跡で出現し近畿地方で広がっていったとされていました。 時期的には卑弥呼王権の時代で、卑弥呼に関わる施設と推測されます。 しかし、近年の発見で九州や北陸に纏向遺跡より古いとされる導水施設が見つかったり、このHPで紹介する服部遺跡の導水施設が纏向遺跡に先行するとの可能性が出てきました。

導水施設型埴輪

今回は触れませんが古墳時代中期には、導水施設を築造する動きとは別に、導水施設の構造を埴輪に表して古墳に供える動きが出てきます。
目隠し塀あるいは垣根の内側に覆い屋があり、その中に導水施設が設けてられています。
垣根に設けられた出入り口は建物に面しておらず、90度の角度となっており、入り口からは内部が見えないようになっています。中で執り行う祭事は「見られてはならない」もののようです。
導水施設型埴輪の全景 導水施設部分
導水施設型埴輪の全景 導水施設部分
三重県宝塚1号墳の導水施設形埴輪(写真:松阪市教育委員会)

埴輪の形や構成を見て、逆に「導水施設」の機能が理解できた側面があります。

木樋付き導水施設の一覧

これまでに見つかっている導水施設の一覧を示します。
これらは水路に木製の樋を用い、聖なる水をとる木製槽を備えている本格的な施設です。
このHPで紹介する、地面に溝を掘って水路とし土坑で浄水を得る初期型の導水施設については含んでいません。

導水施設(槽付き木樋)一覧表
遺跡名府県名時期 全長規模
纏向京都府古墳初4.4大型
服部滋賀県古墳初4大型
小樋尻京都府古墳初小型
延永ヤヨミ園福岡県古墳初〜後4.2大型
東沢新潟県古墳初〜中2.8小型
浅後南谷京都府古墳前3.5大型
瓦谷京都府古墳前2.5小型
瓦谷京都府古墳前2小型
磯野北奈良県古墳前1.1以上
南郷大東奈良県古墳中4大型
神並・西ノ辻大阪府古墳中2小型
神並・西ノ辻大阪府古墳中4.5大型
大柳生奈良県古墳中2.2以上小型
赤井出福岡県弥生末〜古墳後2.5小型
畝田石川県古墳初〜前2.4以上小型
上の山・茄子作大阪府古墳中〜後1.3小型
出典:服部遺跡出土木樋が提起する問題 (橿原考古学研究所 青柳泰介)
水辺の祭祀

川や井戸での祭祀

川のほとりや井戸で行う祭祀を指します。環濠集落の場合は環濠そばで、また大きな溝の前で行う祭祀が行われていました。これも水辺の祭祀としています。
実際に行われた祭祀の様子は分からないものの、川や井戸、環濠、溝などから祭祀遺物が出てきます。
これらは祭祀の痕跡とみなし「水辺の祭祀」と称しています。
祭祀具については、項を改めて紹介します。

川や溝のすぐ横での祭祀

今回の調査で気が付いたのですが、川のすぐ傍、環濠のすぐ傍に井戸や土坑を掘り、そこで祭祀を行ったようで、祭祀遺物がいろいろと出てきます。川や環濠からも祭祀遺物が出てくるので「水辺の祭祀」が行われていたことが分かるのですが、すぐ傍の井戸や土坑からも祭祀遺物が出てくると言うことは、祭祀の場所を使い分けていたような感じがします。
また、川のそばに並行して溝を掘りそこで水辺の祭祀を行っていた遺跡もあります。
埋納された祭祀具を見ていると、川のそばの「水のない」溝や土坑も水辺の祭祀として催されていたと 思えます。
と言うことで、本HPでは、川・環濠の傍の土坑、溝の祭祀も取り扱っています。
井戸・土坑・溝とは

井戸とは

井戸と言えば、現代人は飲料水や日常使いの水を得る竪穴を思い浮かべます。すなわち、穴を掘って地下水位まで達し水が湧いてきたものを「井戸」として認識しています。
各地の発掘調査報告書を読んでいると、「井戸」と「土坑」を使い分けています。実はこの区別が悩ましく、地域や発掘担当者で違っている場合があるようです。
土坑を掘って地下水位に達したものを「井戸」と言うケース、たとえ地下水位に達しても飲み水使用が想定されない場合には「土坑」とするケース、水が出なくても深い土坑は「井戸」とするケース、など様々です。
滋賀県埋蔵文化財センターにおられた秋田裕毅さんが著書「井戸」で調査分析しています。
原始・古代の人たち(弥生時代・古墳時代)は、川や泉から水を汲んで使っており、井戸を掘ってくみ上げることはほぼなかった、そうです。
律令時代になり人が増え水の汚れが生じるようになって、今でいう「井戸」を使いだしたそうです。
秋田さんは全国の発掘調査報告書を調べ、井戸と土坑の区分けや断面形状、用途を分析しています。
そうして「井戸は単なる土坑である。土坑はほとんどが祭祀用である」と結論付けています。
この見方については次項で述べます。もちろん例外もありうるとしています。弥生時代の池上曾根遺跡の大型祭殿の前にある大きな「井戸」は「聖なる水」を得る施設とみなされています。
発掘された「井戸」と「土坑」が、その時点での地下水位との関係で決めたとしても、弥生時代の水位と同じとは限らず、判定に難しいものがあります。このHPでは発掘報告に書いてある通りに「井戸」、「土坑」と記載します。

土坑とは

このHPでは土坑祭祀は取り上げないつもりだったのですが「井戸も土坑」となると、これまで考古学的に土坑の役割とされてきたことと、秋田さんの考え方を明らかにしておきたいと思います。
・食料貯蔵庫:堅果類や穀物の保管
   秋田説では、土坑は高湿でカビが生えたり、発芽して保管に不適、高床倉で保管すべき
・木器貯蔵庫:木器を浸漬し貯木する
   秋田説では、半製品、製品を浸漬する意味はない、祭器として土坑に入れている
・廃棄土坑 :不要土器や木器を捨てるゴミ箱
   秋田説では、廃棄用にわざわざ穴を掘る必要はない、完形(全形が復元できる)に近い
   土器を廃棄することもない、炭化物、灰なども入っており祭祀と考える方が妥当
・祭祀のための土坑:祭器具として貴重な品や完形土器を埋める
   秋田説では、貴重な品や完形土器は地下他界のカミへの畏敬の念に基づくカミマツリ
・一時的な保管:納戸的な使い方
・祭祀行為:土坑を掘る行為が祭祀の執行そのもの
秋田説の「井戸も土坑」に従えば、井戸は祭祀具を入れるための穴となります。

溝は土坑の一種?

溝は区画を示す場合もあるでしょうが、今回の調査で、溝に祭祀具とみなされるものが入っているケースが多いことが分かりました。
その溝に水が溜まったり流れていたりしたのか、水のない溝なのかは分かりませんが、川のそばの溝は水辺とみなされていたような印象を受けます。
秋田説のように土坑が地下他界のカミへ通じる手段だとすると、当時の人たちにとって、溝を掘って、その溝の底に祭祀具を入れることは同じ効果と考えてもおかしくありません。

mae top tugi