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基礎知識:カミとは
神とカミ
考古学者の間で、祭祀の対象として「カミ」という言葉が使われています。  現代人が使う「神」を当てないのは、弥生時代・古墳時代に「神という概念」があったのか、また、超自然の力や精霊を畏れていたとしても、人の姿をした「超越者」をイメージしていたのか分からないからです。 原始・古代の人たちが畏れ願い事を託した「超自然の力や精霊」などを「カミ」として表現しているのです。 歴史学者によれば「人間のような神が活動するタイプの神話が出てくるのは6世紀以降」だそうです。 「神社」が文献に出てくるのは8世紀の段階だそうです。
カミはどこに?
現代の人は、まず「神は天上にいる」としています。もちろん地の神もいるとしています。
原始・古代の人たちはどのように思っていたのでしょう?

地下他界に住むカミ

秋田裕毅さんが著書「井戸」の中で、いろいろな学者の見解をまとめて次のように述べています。
『原始・古代の人びとは、栽培作物だけでなく、人間も含めてあらゆる生物は、地下に住まうカミの力によって成長すると考えていた。農耕社会の成立にともなって、地下に生命を育む力をもつ霊(カミ)が住まうという観念が芽生え、その観念がしだいに体系化して地下他界観念になったと私は考えている。
人びとが、その年の豊作を願ったり、収穫を感謝したり、共同体の平穏を願うとき、地下他界に住むカミをこの世(人間世界)に呼ばなければ、マツリは始められない。地下からこの世にカミを呼ぶために、人びとはどのような行動をとったのであろうか。
弥生人は、カミがこの世に来る道、喩えるならトンネルのような通路がいると考えたようである。
地面に穴を掘って通路となるような空間を作った。土坑は、地下他界に住まうカミをこの世に呼び寄せる通路だったのではないか、と言うのが私の考えである。』
弥生時代、人々が土坑を掘り続け、カミに捧げる(来てもらう)供物を入れたのをうまく説明できます。
土木技術が発達することとカミの概念の成熟とともに、より深い土坑の方がより強いカミが現れれるようになると考えて、湧水点に達する土坑=井戸が増えた、とも書いています。
弥生時代前期には井戸は少なく、時代とともに増えるのは、このあたりとも関係しそうです。

魏書によれば

中国の歴史書から読み解いた説明もあります(高橋一夫1998「手培形土器の研究」六一書房)
森田悌氏は「魏書」 東夷伝を読んでいくと、夫余、高句麗、歳、馬韓の条には天を祭る記載はあるが、朝鮮諸国のなかでも最南端に位置する弁辰の条には「鬼神を司祭シ、異ナルトコロアリ」とあることから、天を祭らず鬼神のみを祭っていたらしいと考える。
また、倭においても天を祭る記載は見られず、「倭国と弁辰の祭儀に共通するところがあり、祭天を行う朝鮮の北部のそれと際立った相異を呈していたといえそう」であり、「卑弥呼の鬼神祭祀は、馬韓以北の天を崇めまつる習俗とは一線を画していたらしい」と述べている。
      森田悌1998「邪馬台国とヤマト政権」東京堂出版
卑弥呼の時代、天の神、日の神のまつり(天的宗儀)ではなく、鬼神祭祀とは地霊・穀霊を地上に迎えまつること(地的宗儀)を行っていたということになるのでしょう。

水面の向こうのカミ(本HPでの解釈)

本HPでは、土坑に関しては秋田さんの説「地下他界に住むカミに通じ、寄り来てもらうために土坑を掘った」としています。
しかし、野洲川下流域の拠点集落などの祭祀具の出土状況を調べると、水辺で行われる多様な祭祀の姿が見られました。川だけでなく溝や井戸、それらの組み合わせ、祭祀具が多くて豪華な所とわずかしか出ない所、人目に付きやすい所とそうでない所、いろいろな祀りの様子が見えます。
共通しているのは「水面の向こう」に祈ることです。
水運拠点となる遺跡では土坑(溝)の祭祀よりは、水辺の祭祀が多く行われていたことが分かりました。航行の安全、舟・乗組員の無事を祈る祭祀を行うのは当然のことであり、水面を介して向こう側のカミに祈願したことでしょう。
したがって、本HPでは、水にまつわる祀りとして「水面の向こう側のカミ」に祈る祭祀が行われていたとして論を進めています。

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